大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成10年(ネ)1425号 判決

控訴人

株式会社片山組

右代表者代表取締役

星野明夫

右訴訟代理人弁護士

渡辺修

吉沢貞男

山西克彦

冨田武夫

伊藤昌毅

峰隆之

被控訴人

西田修一

右訴訟代理人弁護士

志村新

滝沢香

上条貞夫

小部正治

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用(差戻前のものを含む。)及び差戻前の上告費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一申立て

一  控訴人

1  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  右部分に係る被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

控訴棄却

第二事案の概要

一  本件は、控訴人に雇用されている被控訴人が、控訴人から平成三年九月三〇日付けで同年一〇月一日から当分の間自宅で病気(バセドウ病)を治療すべき旨の命令(以下「本件自宅治療命令」という。)を受け、控訴人の労務に服しなかった平成三年一〇月一日から平成四年二月五日までの期間(ただし、年次有給休暇の対象となった日を除く。以下「本件不就労期間」という。)のうち、平成三年一〇月一一日から平成四年二月五日までの期間の次の賃金及び平成三年の冬期一時金の合計一八四万四七九七円(以下「本件賃金等」という。)及びこれに対する各括弧内に記載の弁済期の翌日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

1  賃金

(一) 平成三年一〇月一一日から同年一一月一〇日までの賃金

四二万三三〇六円(同年一一月二一日)

(二) 平成三年一一月一一日から同年一二月一〇日までの賃金

四二万三三〇六円(同年一二月二一日)

(三) 平成三年一二月一一日から平成四年一月一〇日までの賃金

四二万三三〇六円(平成四年一月二一日)

(四) 平成四年一月一一日から同年二月五日までの賃金

四二万一二九五円(同年二月二一日)

2  冬期一時金

一五万三五八四円(平成三年一二月一七日)

二  争いのない事実等(争いがないか、摘示した証拠又は弁論の全趣旨で容易に認められる事実)

1  当事者

(一) 控訴人は、土木建築の設計、施工、請負等を目的とする株式会社で、肩書地に本社を、大阪市、福岡市及び札幌市にそれぞれ支店を置き、その従業員数は約一三〇名である。

(二) 被控訴人は、昭和四五年三月、控訴人に雇用され、以来、本社の工事部に配置されて、建築工事現場における現場監督業務に従事してきた者であるが、昭和六三年四月五日以降、控訴人の従業員をもって組織された建設一般全日自労片山組分会(以下「本件組合」という。)の執行委員長である。

2  本件自宅治療命令による不就労

(一) 控訴人は、平成三年八月一九日、被控訴人に対し、同月二〇日からは控訴人が東京都府中市南町に当時建設中の都営住宅の工事現場(以下「本件工事現場」という。)において現場監督業務に従事すべき旨の業務命令(以下「本件勤務命令」という。)を発した。これに対し、被控訴人は、控訴人に対して、バセドウ病(以下「本件疾病」という。)にり患しているため現場作業に従事することができない旨を申し出たが、同月二〇日から本件工事現場の勤務に就いた。

(二) 控訴人は、被控訴人に診断書の提出を求め、同年九月九日、被控訴人から同人の主治医であった医師笠谷知宏の作成に係る同月七日付けの診断書(〈証拠略〉。以下「本件診断書」という。)が提出され、さらにその病状を補足するものとして、同月二〇日、被控訴人が自らその病状を記載した書面(〈証拠略〉。以下「本件回議箋」という。)が提出されたため、これらに基づいて、同月三〇日付けの指示書(〈証拠略〉)をもって、被控訴人に対し、翌一〇月一日から当分の間自宅で本件疾病を治療すべき旨の本件自宅治療命令を発した。

(三) 本件自宅治療命令は、控訴人が平成四年二月五日に被控訴人に対し本件工事現場の勤務に従事すべき旨の業務命令(以下「本件復職命令」という。)を発するまで継続し、平成三年一〇月一日から平成四年二月五日までの期間、被控訴人が労務に服することはなかった。

3  本件賃金等(〈証拠略〉)

(一) 賃金

控訴人においては、賃金は、前月一一日から当月一〇日までの分を当月二一日(ただし、銀行の非営業日に該当するときは順次繰り上げた日)に支給することになっていたところ、控訴人は、本件不就労期間中被控訴人を欠勤扱いとし、平成三年一一月分から平成四年一月分まで賃金を支給せず、同年二月分については二〇一一円(同月六日から同月一〇日までの分)を支給したのみである。

そして、控訴人が被控訴人に対し平成三年一〇月までの直近三か月間に支払った賃金額は同年八月分が四二万八四二七円、同年九月分が四二万七〇二三円、同年一〇月分が四一万四四六八円で、平均賃金月額は四二万三三〇六円であるから、右の欠勤扱いによって支給されなかった賃金は前記一1の(一)ないし(四)の合計一六九万一二一三円である。

(二) 冬期一時金

(1) 控訴人においては、従業員に対し、毎年一二月に冬期一時金を支給している。この一時金は、基本給に支給年の五月一一日から一一月一〇日までの期間中の出勤率(所定就労日数から欠勤日数を控除した日数を所定就労日数で除した数値)を乗じ、これに当該期について控訴人が決定する支給月数(基準月数)を乗じた金額(基準支給額)に、右期間の考課による成績査定分を加減し、最終的には原則として五〇〇〇円単位となるように決定されている。そして、控訴人は、平成三年の冬期一時金を同年一二月一七日に支給したが、被控訴人に対する右一時金の支給額は五九万三一五二円であった。

(2) 右の基準支給額は、本件不就労期間を含む冬期一時金の考課対象期間中の被控訴人の出勤率を前記の欠勤扱いによって一四一分の一一二として計算したものであって、右の欠勤扱いがされなければ、右期間中の被控訴人の出勤率は一となるから、これによる冬期一時金の基準支給額は七四万六七三六円となる。

(3) そして、右考査対象期間の考課による成績査定による被控訴人の減額分は二万五一五二円であるから、被控訴人は、右の欠勤扱いがされなければ、控訴人から平成三年の冬期一時金として右(2)の基準支給額から右減額分を控除した額と前記(1)の支給額との差額である一二万八四三二円の支給を受けることができたはずである。

三  争点

本件における争点は、被控訴人が、本件不就労期間中、控訴人から本件自宅治療命令を受けて、控訴人の業務に従事していなかったにもかかわらず、控訴人に対し、本件賃金等の支払を求めることができるか否かである。

1  被控訴人の主張

(一) 被控訴人は、本件疾病により本件工事現場における現場監督業務中の現場作業を行うことは困難であったが、それ以外の業務において事務作業を行うことは可能であった。

(二) 被控訴人は、控訴人に対し、右事務作業の労務の提供を申し出た。

(三) しかしながら、控訴人は、故なく右提供を拒否し、本件復職命令を発するまでの期間、被控訴人が控訴人の業務に従事することを拒絶したものであるから、本件不就労期間中被控訴人が控訴人の労務に服しなかったとしても、控訴人に対する報酬請求権を失うものではない。

(四) また、控訴人が、被控訴人に対して、本件自宅治療命令を発したのは、本件組合の結成当初から執行委員長であった被控訴人の組合活動を嫌悪し、被控訴人が本件疾病にり患していることを奇貨として、被控訴人の就労を拒絶して職場から排除し、賃金等の支払を拒絶するという不利益を与えることにより、他の従業員に対する見せしめとし、本件組合の弱体化を狙ったものであって、本件自宅治療命令は不当労働行為にも該当する無効なものであるから、被控訴人が控訴人の業務に従事していないとしても、控訴人に対する報酬請求権を失うものではない。

2  控訴人の主張

(一) 被控訴人は、実際には、本件工事現場への勤務を指示された時点で、現場作業への就労が可能であるにもかかわらず病状を偽り、現場作業に従事することができないと申し出ていたものである。したがって、被控訴人は、履行が可能な労務の提供を拒絶したものであり、債務の本旨に従った履行の提供をしたとはいえない。

(二) 本件において、被控訴人は本件工事現場への配属を指示された後、事務作業一般への再配置を要求したわけではなく、一貫して本社工事本部の一部門である工務監理部への再配置を要求し続けた。このように、被控訴人自身が労務の提供場所を工務監理部に特定して配置を要求している以上、被控訴人が配置される現実的可能性があるかどうかは、工務監理部について検討すべきであり、かつそれで足りる。そして、工務監理部は当時の人員体制で十分業務を処理できる体制にあったから、被控訴人を工務監理部に配置できる現実的可能性はなかったものである。

(三) 本件自宅治療命令は、被控訴人が提出した前記主治医の作成に係る本件診断書、被控訴人作成に係る本件回議箋などから、被控訴人が本件工事現場における現場監督業務に従事することはできないと判断して発したものである。右命令は、被控訴人の申し出た病状によれば、労務者の健康管理に配慮すべき使用者としての正当な措置であって、不当労働行為には当たらない。

第三当裁判所の判断

一  前示第二、二の争いのない事実等に、証拠(〈証拠・人証略〉、原審及び当審における控訴人本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  控訴人は、土木建築の設計、施工、請負等を目的とする株式会社で、肩書地に本社を、大阪市、福岡市及び札幌市にそれぞれ支店を置き、その従業員数は約一三〇名である。

2  被控訴人は、昭和四五年三月、控訴人に雇用され、以来、技術系社員として本社工事本部の工事部に配置されて、建築工事現場における現場監督業務に従事してきた。なお、被控訴人は、労働契約上その職種や業務内容が現場監督業務に限定されてはいなかった。

3  被控訴人は、平成二年夏、ビル建築工事現場において現場監督業務に従事していた際、体調に異変を感じ、病院で受診したところ、本件疾病にり患している旨の診断を受け、以後通院して治療を受けたが、控訴人に対して本件疾病にり患している旨の申出をすることなく、平成三年二月まで右現場監督業務を続けた。

4  控訴人における現場監督業務は、現場作業と事務作業に大別され、現場作業は、工事現場に直接赴いて工事が設計通りに適切に施工され、予定どおり工事が進行するように下請業者などを指揮監督することを主要な内容とする現場管理及び現場巡視と工事現場における安全管理とからなり、事務作業は、予算管理、工事に応じて必要となる図面や各種報告書の作成、作業内容の打合せ・確認、工事の段取り、職人や材料の手配、建築主や設計事務所との打合せ等からなる。現場監督業務における右両作業の割合は、各現場における現場監督の構成や工事の進行段階によって異なるが、平均すれば、約二割が事務作業で、残り八割は現場作業であり、後者が現場監督の中心的な業務とされる。

5  本件疾病にり患すると、動常、動悸、息切れ等の症状があり、周期的に脱力感があり、発汗等が生じ、進行すれば、心不全の危険があるところ、控訴人における現場監督作業においては、足場に上がったり、登り桟橋を登ったり、リフトに乗ったりして未完成の工事現場を移動する必要があるため、現場監督者が本件疾病にり患し、薬物治療を受けている場合、その症状及び薬物の副作用(疲労感等)によっては遂行が困難又は危険な状況になることがある。

6  被控訴人は、平成三年二月以降は、次の現場監督業務が生ずるまでの間の臨時的、一時的業務として、控訴人の本社内の工事本部の一部門である工務監理部において図面の作成などの事務作業に従事していたが、同年八月一九日、翌二〇日から本件工事現場において現場監督業務に従事すべき旨の業務命令(本件勤務命令)を受けた。その際、被控訴人は、控訴人に対して、本件疾病にり患しているため右業務のうち現場作業に従事することはできない旨の申出をし、二〇日、本件工事現場に赴任した際にも、現場責任者である工事課長に対し、本件疾病のため現場作業に従事することができず、残業は午後五時から六時までの一時間に限り可能であり、日曜及び休日の勤務は不可能である旨の申出をした。被控訴人は、本件工事現場に赴任後、鉄骨の建方工事に現場監督として立ち会ったことがあったが、強い疲労感を覚えた。その後、被控訴人を執行委員長とする本件組合も、控訴人に対する質問書(〈証拠略〉)において、被控訴人の労務につき、〈1〉 現場作業には従事することができない、〈2〉 就業時間は午前八時から午後五時まで、残業は午後六時までとする、〈3〉 日曜、祭日、隔週土曜を休日とする、との三条件を控訴人が認めるか否かの回答を求めた。

7  控訴人は、被控訴人に診断書の提出を求め、平成三年九月九日、被控訴人の前記主治医の作成した本件診断書が提出されたところ、それには「現在、内服薬にて治療中であり、今後厳重な経過観察を要する。」との記載があった。控訴人は、右の記載では病状が必ずしも判然としないとして、被控訴人に対し、病状を補足して説明する書面の提出を求めたところ、同月二〇日、被控訴人が自ら病状を記載した本件回議箋が提出された。それには、「疲労が激しく、心臓動悸、発汗、不眠、下痢等を伴い、抑制剤の副作用による貧血等も症状として発生しています。未だ暫く治療を要すると思われます。」とした上、本件組合が回答を求めた前記三条件を認めることが不可欠である旨が記載されていた。

8  控訴人は、被控訴人が本件工事現場の現場監督業務に従事することは不可能であり、被控訴人の健康面・安全面でも問題を生ずると判断して、平成三年九月三〇日付けの指示書をもって、被控訴人に対し、翌一〇月一日から当分の間自宅で本件疾病を治療すべき旨の本件自宅治療命令を発した。

9  被控訴人は、本件自宅治療命令が発せられた後にも、事務作業を行うことはできるとして、平成三年一〇月一二日付けの被控訴人の前記主治医作成の診断書を提出したが、これには「現在経口剤にて治療中であり、甲状腺機能はほぼ正常に保たれている。中から重労働は控え、デスクワーク程度の労働が適切と考えられる。」と記載されていた。控訴人は、右診断書にも被控訴人が現場監督業務に従事しうる旨の記載がないことから、本件自宅治療命令を持続した。

10  その後、被控訴人から控訴人に対して賃金仮払を求める仮処分が申し立てられ、その審理過程において、被控訴人の前記主治医の意見聴取が行われ、それによって、平成四年一月時点では、被控訴人の症状は仕事に支障がなく、スポーツも正常人と同様に行い得る状態であることなどが明らかになった(右主治医の意見は、前示の発病当時及び平成三年一〇月一二日当時の症状の判断を左右するものではない。)。そこで、控訴人は、同年二月五日、被控訴人に対し、本件復職命令を発し、被控訴人は同日以降、右命令に従い、本件工事現場における現場監督業務に従事した。

11  被控訴人は、平成三年一〇月一日から平成四年二月五日までの本件不就労期間中、現実に労務に服することはなかったため、控訴人は、右期間中被控訴人を欠勤扱いとし、その間の賃金を支給せず、平成三年一二月の冬期一時金を減額支給した。

二  前項で認定した事実を総合すれば、控訴人は、被控訴人が本件工事現場の現場監督業務に従事することが困難であり、被控訴人の健康面・安全面でも問題が生ずるとして本件自宅治療命令を発したものであるが、被控訴人は、本件不就労期間中、本件工事現場における現場監督業務のうち現場作業における労務の提供は不可能であり、事務作業に係る労務の提供のみが可能であって、本件自宅治療命令を受けた当時、右可能な労務の提供を申し出ていたものと認めるのが相当である。

控訴人は、被控訴人が、実際には、本件工事現場への勤務を指示された時点で、現場作業への就労が可能であり、それにもかかわらず病状を偽り、現場作業に従事することができないと申し出ていたもので、被控訴人は、履行が可能な労務の提供を拒絶したと主張する。確かに、前示一の経過によれば、被控訴人提出の病状説明書の記載には若干の誇張があることが窺われるけれども、前示一7及び9の各診断書の記載はもとより、(証拠略)の記載に照らしても、被控訴人が右現場作業に従事可能であったのに、症状を偽って、就労を拒否したとは認め難く、他に前記の認定を覆すに足りる証拠はない。

三  被控訴人のした労務の提供が控訴人との雇用契約における債務の本旨に従ったものであるかどうかにつき判断する。

1  労働者が職種や業務内容を特定せずに労働契約を締結した場合においては、現に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が十全にはできないとしても、その能力、経験、地位、当該企業の規模、業種、当該企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして当該労働者が配置される現実的可能性があると認められる他の業務について労働の提供をすることができ、かつ、その提供を申し出ているならば、なお債務の本旨に従った履行の提供があると解するのが相当である(本件に係る差戻前の上告審判決である最高裁平成一〇年四月九日第一小法廷判決参照)。

2  被控訴人が、控訴人に雇用されて以来二一年以上にわたり建築工事現場における現場監督業務に従事してきた者であるが、労働契約上その職種や業務内容が現場監督業務に限定されていなかったこと、被控訴人が、本件自宅治療命令を受けた当時、事務作業に係る労務の提供は可能であり、かつ、その提供を申し出ていたことは、前示二のとおりである。

3  そこで、被控訴人の能力、経験、地位、控訴人の規模、業種、控訴人における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして、本件工事現場における現場監督業務以外に被控訴人が配置される現実的可能性があると認められる事務作業業務があったかどうかを検討する。

(一) 前示一の事実に、証拠(〈証拠・人証略〉、原審及び当審における控訴人本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 控訴人の規模、業種は前示一1のとおりであり、平成三年度の売上高は約一三〇億円である。

(2) 平成三年七月当時の控訴人の組織は、工事本部、営業本部、管理本部、サービス事業本部の四本部に分かれていた。工事本部の下には、第一工事部、第二工事部、工務監理部、機材管理部に分かれており、正社員六二名、嘱託ほか七名の合計六九名が配置されていた。被控訴人は、このうち第二工事部に所属していた。営業本部の下には、営業部、官庁営業部、企画設計部、福岡・大阪・札幌の各支店、積算部、不動産部が置かれ、合計三八名が、管理本部の下には、総務部、経理部、安全衛生管理部が置かれて合計一六名(内一名は出向者)が、また、サービス事業本部には、建築サービス事業部、損害保険事業部が置かれ、合計六名がそれぞれ配置されていた。

(3) 控訴人の従業員は、大別すると技術系と事務系に分かれ、技術系の社員は工事本部を中心に、営業本部、サービス事業本部にも配置されている。被控訴人は、控訴人に入社以来、技術系社員として工事本部の下の工事部に配置され、建築工事現場における現場監督業務に従事してきた。

(4) 現場監督は、担当する工事現場の工事が終了して、次の新たな工事現場に赴任するまでの待機期間中は、本社において図面や予算書作成等の事務作業を行うこととされていた。被控訴人も、平成三年二月以降、本件勤務命令を受けるまで、控訴人の本社内の工務監理部において図面の作成などの事務作業に従事していた。その当時、被控訴人のほかにも四、五人の現場監督が同様に右の工務監理部で事務作業を行っていた。被控訴人以外のこれらの現場監督が本件工事現場に赴任することを妨げるような事情があったことは窺われない。その後、被控訴人が本件工事現場に復帰した平成四年二月には、工務監理部に一名が増員配置された(右の経過に徴すると、この間工務監理部には右の各人員に見合った事務作業の業務があったことが推認される。)。

(5) 控訴人においては、平成三年七月ころの在籍者について、工事部の現場監督から、工務監理部、安全衛生監(ママ)理部、営業部、企画設計部、福岡支店、札幌支店、積算部、不動産部又はサービス事業本部の事務部門に異動した例が二〇例以上あり、現場監督から事務作業を担当する他の部署への異動が希有とはいえない実情にあった。

(6) また、工事部の現場監督業務に従事していたが、病気・怪我等によりその業務に耐えられなくなったため、配置換えをしたものとしては、昭和四七年ころ、てんかんの発作で倒れ、本社設計部に配置換えをした例、昭和五〇年ころ、木の枝から落下して怪我をし、本社積算部に配置換えをした例、糖尿病を発病し、サービス事業本部に配置換えをして、制限勤務の下で治療を続けさせた例などがある。

(7) 控訴人は、被控訴人に対して本件自宅治療命令を発令するに当たって、被控訴人の前記主治医に診断根拠を確認するなど専門家の意見を求めることも、本件診断書に記載された経過観察がいつまで必要かも確認していない。また、本件工事現場において、現場作業ができない状態のまま被控訴人に現場監督業務を続けさせるのが相当かどうかは検討したが、それ以外の業務で被控訴人の健康状態で遂行可能なものがあるかどうかの検討はしなかった。

(二) 以上認定の被控訴人の能力、経験、地位、控訴人の規模、業種、控訴人における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らすと、本件自宅治療命令発令当時、控訴人には、被控訴人のような多年にわたり現場監督業務に従事していた者にも遂行可能な事務作業業務が少なからず存在し、被控訴人に現場監督業務以外従事させる業務がなかったとはいえず(少なくとも、当面、待機中であった被控訴人以外の現場監督を本件工事現場における現場監督業務に従事させ、被控訴人を工務監理部において事務作業に従事させることは可能であったというべきである。)、被控訴人をこの業務に配置する現実的可能性があったものと認められる。

控訴人は、被控訴人自身が労務の提供場所を工務監理部に特定して配置を要求している以上、被控訴人が配置される現実的可能性があるかどうかは、工務監理部のみについて検討すべきであり、かつそれで足りる旨主張する。確かに、前示一の事実によれば、被控訴人が工務監理部への配置を求めていたことは控訴人主張のとおりであるけれども、被控訴人がそれ以外の部署での労務の提供を確定的に拒否していたとまでは認め難いから、控訴人においては、被控訴人を配置すべき業務を右のように限定せずに、控訴人の業務全体の中で被控訴人を配置できる部署の有無を検討し、配置可能な業務を被控訴人に提供する必要がある上、被控訴人を工務監理部において事務作業に従事させることが可能であったことも前示のとおりであるから、控訴人の右主張はいずれにしても採用できない。他に前示認定を左右するに足りる証拠はない。

4  以上によれば、被控訴人のした労務の提供は債務の本旨に従ったものというべきである。

四  控訴人は、本件自宅治療命令を発して、被控訴人が提供をした労務の受領を拒否したため、被控訴人は、本件不就労期間中労務に服することができなかったのであるから、右期間中の賃金等請求権を喪失しないというべきである(民法五三六条二項)。そして、前示第二の二3によれば、右期間中被控訴人に支払われるべきであったのに支払われなかった賃金等は、冬期一時金のうち成績査定による減額分二万五一五二円に係る請求部分を除き、被控訴人の本件請求のとおりであることが認められる。

してみれば、被控訴人の請求は、右減額分二万五一五二円に係る請求部分を除き理由がある。

五  以上の次第で、被控訴人の請求を前示の限度で認容した原判決は結論において相当であるから、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条一項、六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 筧康生 裁判官 滿田忠彦 裁判官信濃孝一は転補のため署名押印ができない。裁判長裁判官 筧康生)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例